うなぎ 菊水 西森 誠一 店主 SEIICHI NISHIMORI
東京生まれ。高校卒業後に会社員を経て、横浜市のうなぎ店で経験を積む。1998年に「うなぎ 菊水」を前店主より引き継ぎ、今に至る。(東急田園都市線 鷺沼駅より徒歩6分)
東京生まれ。高校卒業後に会社員を経て、横浜市のうなぎ店で経験を積む。1998年に「うなぎ 菊水」を前店主より引き継ぎ、今に至る。(東急田園都市線 鷺沼駅より徒歩6分)
東京の深川で生まれました。今はビルも立ち並んでいますが、当時は今よりももっと下町情緒あふれる雰囲気の中で育ちました。高校卒業後は会社員も経験したのですが、料理界に入りたいという気持ちが湧き、育った環境からなのか、特に江戸っ子が愛する料理の1つ「鰻」に惹かれ、鰻職人への道に進みました。そして、横浜の荏田にある鰻屋で働き、鰻職人としての技術を積んでいきました。
鰻屋で働いて10年以上が経つと、やはり、自分ならこうしたい、ああしたいというような方向性が見えてきて、同僚ともそんな話で盛り上がることが多くなりました。まさにそのタイミングでこの鷺沼の鰻店の引き継ぎ手を探しているという話が舞い込んできました。当時の店主さんが体調を理由に引退を考えつつも、地元で長年愛されている鰻店は残して誰かに任せたいというものでした。まさに、自分の店を持ちたいと思っていたころでもあり、そのような老舗の鰻屋を引き継がせていただけるのは本当に幸いなことだと思い、二つ返事で承諾しました。そして1998年、店構えも内装もそのままでこの店を引き継ぎ、ただ一生懸命に働き、気づけば2024年で26年目になります。
店を引き継いでからは、順風満帆というわけではなく、バブル崩壊や東日本大震災、新型コロナなどなど、大変なこともたくさんありました。また、ここ20年あたりでもっとも深刻なのは鰻の生産量が少なったことによる価格の高騰です。以前は季節的に安く手に入ることもありましたが、もう何年も高止まりが続き、鰻が手に入りにくくなっているのは本当に辛いです。それでも、新鮮な国産鰻だけを使い、厨房内の「立場(たてば)」と呼ばれる鰻の一次的な貯蔵場所で活きがいい鰻を専門の入れ物に入れ、泥を抜くことで特有の臭みをとり、その日に食べる分を朝と午後にわけてさばいて提供しています。鰻の産地は主に静岡の吉田や焼津、愛知の三河のもので、それぞれの地域の特徴がありますので、鰻を見ながら蒸し加減などを調整し、炭も国産のものにこだわって焼いています。夏の調理場は60℃近くにもなって、それはもう大変ですが、それでもおいしい鰻を提供するためにこだわり続けています。
もっと価格を抑えるなら国産でないものを仕入れたり、手間を省くならすでにおろしてあるものを使うなど、方法は色々あるのかもしれませんが、自分が目指す味にこだわったら、どんなに大変でも今もやり方以外の選択がないんですよ(笑)。
鰻屋ですから、鰻という料理を習ってきたことに忠実に、何よりも正直にやり続けることを大事にしています。相手は生き物だから違うこともあり、日々勉強しながらの毎日です。何年、何十年やっても、まだまだ勉強することはあります。だから、自分ができることを全力でやるだけですね。
価格の高騰など、色々と大変なことはありますが、鰻は日本の食文化ですから、できる限り作り続け、これからも皆さんに食べてもらいたいです。特に、若い人はもっと食べてもらいたいですね。
年に1度、地元の小学校の社会科見学で、小学生たちがうちの鰻屋を訪れてくれます。子どもたちは動いている鰻を見るなんてことはなかなかないので、とても盛り上がりますよ。お礼の手紙をもらったりもしました。そんな小学生が高校生くらいに大きくなって、うちの鰻を食べたいと家族で来てくれたことがありました。そうやって思い出してくれて、うちの味を楽しんでくれるのは本当に嬉しいです。
ありがたいことに、この店には地元にお住まいの方、地元に練習場があるプロサッカー選手、遠くからだと東京や小田原からも食べにきてくれる方もいらっしゃいます。
うちは新鮮でふわふわに焼き上げた鰻が引き立つように、店を始めて以来、継ぎ足して使い続けているあっさりめのタレ、また、それに合わせてお米も粘り気のないあっさりしたものにしていて、それをお客様は気に入ってくださるようです。
これからも、できる限りがんばっていきたいと思いますので、『うなぎ 菊水』の鰻を食べにいらしてください!
※上記記事は2024年4月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。
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